司馬遼太郎の本で「三岸節子」という画家を知り、以来、その名前を頭の片隅に置いていましたが、週末、三岸節子がアトリエとして使っていた東京中野区上鷺宮の「三岸アトリエ」を見ることができました。(石井)
司馬遼太郎は例えば下のように、三岸節子のことを紹介しています。
「当時、なみはずれて激しく大きい質と量をもった彼女の情念を包みこむには、この人の手持ちの、もしくはこの世の既存の造形技術は、小さくすぎるように思われた。、、、、
そのころ私は、主題性が脆弱で処理技術がうまいだけの絵を無数に見ていただけに、日本にも、天性、油彩世界に適った才質がうまれ得るのだということを三岸節子の作品において思ったりした。」
このアトリエは、三岸節子の夫であり同じく画家の三岸好太郎がデザインし、ドイツのバウハウスで学んだ山脇巌が設計したインターナショナルスタイルの建築で(1934年築)、日本での初期モダニズム建築を知る上でとても興味深い建築でもあります。
現在はレンタルスペースとして使われ、国登録有形文化財(中野区)にもなっていますが、残念なことに痛みはかなり進んでおり、国なのか中野区なのか分かりませんが、保存・修復には何らかの資金援助が必要な様子でした。
日本のモダニズム建築の先駆けとして、ドイツ・バウハウス帰りの山脇巌が、日本の木造技術を使って作り上げた貴重なアトリエ兼住居「三岸アトリエ」。
螺旋階段は鉄(スチール)で出来ていますが、キレイなR形状に加工されたものではなく、アングルを組み合わせて作っているなど、当時の熱気とともに苦労も伺えます。