7月28(木)、29(金)と、(株)テツヤ・ジャパンが主催する復興ドーム建設にボランティアとして参加、岩手県釜石市に行った時の記録です。
なかなかブログに載せることができませんでしたが、東日本大震災から半年、9月11日の節目に報告します。
夜が明けると「遠野物語」(柳田國男)で有名な霧雨の遠野の風景が。(夜行バスより)
早朝、釜石駅前に到着。釜石市役所が被災したため、駅に隣接するシープラザ釜石に、釜石市災害対策本部が置かれ、安否確認のための何枚もの紙が張り出されています。
このシープラザ釜石は、事務所パートナーの近藤が勤めていた事務所が設計したものなので、釜石に縁を感じました。
集合場所の宿に行き、ボランティアメンバーと合流。今日の復興ドーム建設地、釜石市箱崎町に向かう。
道路も寸断され、目印となる建物もないので何度か道に迷う。途中、道を尋ねた警察官も神戸県警の方で不案内でした。
震災から4ヶ月以上経つのに、まだまだ手の付いていないところが目立ちます。
海岸沿いでは、鉄筋コンクリートの建物が基礎から傾いていました。
釜石市からの要請で漁業組合の方の敷地内に、漁業関係資機材の倉庫として建設します。土台造りと本体造りに分かれて作業開始。今日のメンバーは、被災地支援を積極的に行なっているNPO法人オン・ザ・ロードのメンバー4名、地元の大工さん4名、(株)テツヤ・ジャパン2名、そして僕の総勢11名。
企画・設計:釘宮(テクノプロト)
資金提供:NPO法人いわふね地域エコセンター
500メートル位先に海が見えます。
この辺りは、足元まで津波が来ましたが、かろうじて被害はなかったそうです。ただ、水道はつい最近まで使えなかったとのこと。
途中、休憩にお餅やお菓子をよばれ、お昼前にドーム部分が完成。ドーム部分はロシアンバーチ6mmの合板を6枚つなぎ合わせた簡単な構造。隣の敷地には仮設住宅が見えます。
お昼は、用意してくださった素麺とおむすびをいただきました。味噌を付けて食べる胡瓜も美味しかったです。
地元の大工さんは、いろいろな技を出しながらの手早い作業。言葉(東北弁)が4割ぐらいしか理解できないのが、残念でした。
広さは約8畳ほど。ロシアンバーチの合板に優しく包まれる感じです。
軽いので、風で飛ばされないように支線で固定。床には換気ができる開口もあります。
完成!
敷地内には、昔の津波被害の供養塔や、子供を救ったというカッパの形をしたお地蔵さんが祀られていました。
一基目が早く完成したので、2基目を組み立てに近くに移動。
もともと、大工さんの倉庫に使われていたものを、解体・移設、パーマ屋さんの仮設店舗として使えるように組たてます。
2基目なので、大工さんとの息もバッチリ。
夕方、作業終了。明日は大工さんに任せることに。
海沿いの建物は基礎のみ残して流されていますが、この辺りの住宅は、軒先近くまで津波がきた跡がありますが修繕できそうです。ただ、計画が決まらないうちは、手の付けようがないのが悩みとのこと。
120センチ角の柱は折れています。
床は剝がされて、床下は消毒されています。
津波を受け塩をかぶった杉は、赤く枯れ始めていました。
釜石市街。
ガソリンスタンドの鉄骨の柱が大きく曲がり、津波の力の大きさを物語ります。
民宿高金(たかきん)。水道等のインフラ工事の関係者の方も利用されていました。
夕食は三陸海鮮料理の中村屋さんに、海宝漬をご馳走していただきました。あわび・イクラ・めかぶの絶妙な組み合わせの美味しさと、あたたかい心づかいにみな感激。